『名前のない少年、脚のない少女』 / by Yuki Takai

レビューを読んで気になっていた映画『名前のない少年、脚のない少女』の東京公開が昨日までだったので駆け込みで観てきた。初のシアター・イメージフォーラム

映画自体は、ストーリーというよりは主人公の心象を投影したような画のコラージュに近い。

正直、そこからプロットを読み取ろうとするのはすごく難解だった。

後から知ったけど、舞台はブラジルといっても、南部のドイツ系移民が集まるエウトニアという小さな町らしく、文化的な背景とか空気感を探りながら観なきゃならなかったのも一層それを難しくしてたと思う。
(というかあらかじめ公式サイト見てから行けばよかったって話ですね…)

そんな難解さも手伝って、第一印象は、自己陶酔的な映像と観客に文脈の読み解きを委ねる一種の傲慢さが一言で言えば自主制作っぽいなーと。

ただ、これについては監督自身がこう言っているので、狙ってたというか自覚的な部分はあったのかも。

これは、例えば隠れたトリックが最後に明かされて驚かせるような映画ではなくて、感情の映画であり、感覚的な映画なんです。

実は主人公「名前のない少年 “ミスター・タンブリンマン”」(エンリケ・ラレー)も「脚のない少女 “ジングル・ジャングル”」(トゥアネ・エジェルス)も、キャストはみんな実際に舞台となったエウトニアで暮らしているティーンエイジャーたちから選ばれているとのこと。※参照

27歳(当時)という監督の若さや、少年たちの一種のドキュメンタリー性ももしかしたら「自主制作的」と感じさせたひとつの理由だったのかもしれない。

また、劇中に登場するジングル・ジャングルのYouTubeflickrは今でも実際に公開されている。

映画を観たあと、僕らは実際にこれらにアクセスすることによって、主人公の感覚を追体験することができる。

劇中のものを現実に持ってくるのは映画の企画としてはそんなに目新しいことじゃないけど、リアルな生活に居場所を見つけられず閉塞感を抱えながら、今はもういないネット上の少女の世界に惹かれ耽溺していく少年を描いたこの作品に関しては、ここまでしてやっと「一本の映画を観る」という行為が完結するのかもしれない。

正直、ここまで書いててもまだラスト15分間は理解できてないし、誰にでも面白いとおすすめできる映画かというとたぶん違うけど、その時の気持ちのコンディション次第で何度でも違う感じを受け取れそうな気がするという意味ではもう一度観たいし、分からないなりに色々語りたくなる映画だとは思う。

東京は終了しちゃったけど、横浜はじめ各地では順次公開とのことなので興味があればどうぞ。